敏感な人

数ヶ月前にHSPという言葉を知った。芸能人がカミングアウトした事でちょっとした話題になったのが認知したきっかけだった。ワイドショーか何かで取り上げられていたのを彼女が見て、その傾向ありそうだよねと僕に言ってくれたのを機に調べてみると、確かに自分にも概ね当てはまるものだった。

いくつかの特徴が挙げられていたけど、芸術や音楽に感情が揺さぶられる、というのだけは当てはまらなかった。自分なりの勝手な定義ではあるが、対人にHSPの性質が強く出ているのかもしれない。

このことが分かってから、自分の人生が少し楽になる兆しが見えた気がした。というのも、その当時は仕事上の立場が変わってリーダーとなり、人とのコミュニケーションが仕事の大部分を占めるようになった事で、とてつもなくストレスを感じていたと同時に全く成果を出せていない気がしていたからだ。どうやら調べていくと、上司に要求されていたリーダーとしての振る舞いは、HSPにとっては全く適性を持たないものだった。それを知らずに、自分の能力がないことを責めていたので、あのままHSPという言葉に出会わずに過ごしていたら確実に潰れていただろうと思う。

それからはHSP関連の書籍を何冊か読み、心のもちようを変えていこうとしているがなかなか難しいもので、ストレス要因が少なくなったかというと全然そんなことはない。HSPと付き合えるようになるのが先か自分が潰れるのが先か、しばらく勝負をすることになりそうだ。

 

娯楽と仕事のバランス感覚

最近プロ格闘ゲーマーの配信をよく見る。とてもシビアな世界だろうと分かっているつもりだが、それでも娯楽を仕事にしてるのは羨ましい。自分が今からなりたいと思っても普通にはなれないだろうが、生き方として近い生き方はしたいなと思う。

ストVも配信を見るようになってから手を出してみた。なかなかプレイ時間を確保できてないが、上手くないなりに楽しめている。上達しようと思ったら、最近はアドバイス動画も沢山上がっていて、ありがたい限りである。まだまだ操作を覚えるレベルなので、一通りつつがなく操作できるレベルまでは上達したい。

こう言った新しい遊びに手を出した時、継続できるかどうかで一番重要なのは、同じくらいの実力か同時に手を出し始めた友人だと思う。オンラインプレイで気軽に繋がることもできるし、そのゲームについて会話したりすることもゲームの楽しみの一つじゃないだろうか。

兎にも角にも、まずはゲームを遊ぶ精神的、時間的猶予を確保したい。仕事に追われすぎてゲームを遊ぶ時間を確保できない状態は体調面、精神面、体力面などあらゆる面で悪影響がある事を実感している。仕事にフルコミットできる人も世の中には沢山いると思うが、自分はそうではないので適度に仕事と付き合う人生にしようと、決意した。

今週もお疲れ様でした

今週はひたすら仕事がハードだった。元々予定していた仕事が差し込みタスクによって押し出され、どうしても残業時間にならないとそれらに手をつけられない。

前職で行き詰まっている感を覚えた時と似た感覚がある。楽しいと思う仕事がこの世には存在しないように思うし、自分の人生はなんで楽しくない事で埋め尽くされていくんだろうとネガティブが加速していく。

土日を迎えて気分転換ができればいいけど、今のところその見通しもなく、コロナの状況と合わせて気が滅入っていく。オリンピックの観戦チケットが当選していたが、無観客開催。ネガティブになる材料は探せばいくらでも見つかりそうである。

今週は仕事の状況がそんな感じだったので、外にも一歩も出ていなかった。明日は休みなので、0時過ぎに1人で近所を散歩した。やはり手足を動かして、目に入る景色に意識を向けて、少しの時間でも残ってる仕事のことを考えないで済んだ。気持ちの切り替えが下手な自覚があるが、最近はメンタルを完全に保つことの重要性とその手法に習熟することの重要性を強く感じていて、散歩はその手法の一つとして発見した。他の人には当たり前かもしれないが自分にとっては大発見。こんな簡単なことでストレスが低減できるあたり、自分は思ったより単純だと思うし、もしかすると人間も案外単純な仕組みなんじゃないかと思う。

料理

ここ最近料理をするようになった。YouTubeの料理チャンネルが重宝している。昔はレシピ本やレシピ紹介サイトを見て料理をするのは全然やる気にならないし上手くできる気がしなかったが、動画なら出来そうな気になって行動まで起こしたのが不思議だ。

とあるチャンネルで紹介されているまぜそばがとんでもなく簡単で美味しく、その成功体験が料理のモチベーション維持につながっている。そのおかげで、レシピ本での料理にも手を出す程に料理へのハードルが下がり、スパイスカレーを作ったりもしている。

今までは料理をすることに価値が見出せていなかったが、今となっては昔から料理をしてこなかったことに後悔している。やらないよりやって後悔しろ、というのは、やってみないと何を感じ取るかわからないという事を言いたいのかもしれないと思った。

とは言え、自分で料理しないでも自分の舌に合う食事が食べられるのが一番いい。まだまだ時間を使って楽しむよりも効率に重きをおくたちなんだろう。いつか心と時間の余裕ができて、料理を心の底から楽しめる時が来るといいな。

ふりまわされる

ハードな1日だった。あまり感情の起伏がない方の人間だが、今日は久しぶりに仕事でイラッとしてしまった。

詳細は書かない(書けない)が、あまりにも人任せな仕事の進め方に半分呆れた。それと同時に、その仕事の仕方でどこにやりがいを感じているのか疑問に思ってしまった。

とは言え自分も最近仕事のやりがいや楽しさを見出すのに苦労している。折角1日の大半を捧げているのだから、楽しいと感じられる仕事で埋め尽くしていきたい。それが出来ている人はどれくらいいるんだろう?収入の多寡より、人生を楽しいことで埋め尽くせているかどうかが本当は重要なのではないか?そんな事を考えていると資本主義に対して懐疑的になってきたが、流石に遅くまで働いて疲れたので今日はもうラジオでも聴きながら寝るとしよう。

打ち合わせが苦手。

打ち合わせの多い1日だった。僕は基本的に打ち合わせが好きではないし苦手である。自分1人で黙々とやる作業が好きだ。ディスカッションを通じて何かを決めたりするよりも、決まった事をやる方が性に合っていることが最近ようやくわかってきた。でも、それではいいお給料をもらうこともできない事はわかっているので、無理矢理自分の苦手な領域に仕事の範囲を広げている(というより立場が変わって範囲を広げざるを得なかった)。

何でこんなに打ち合わせが嫌いなんだろうと考えてみると、究極的には自分の無知、無学を晒したくないという防御によるものなんだと思う。これは打ち合わせに限らず、自己開示能力が低いことにもつながっているように思え、自分としてはとてもしっくり来ている。どうしても、自分のプライドを捨てることができないのだ。

変なプライドを捨てて、周囲を頼ることができたらどんなに楽だったか。と思ったが、周囲を頼る自分を想像してみると、それはそれでしっくりこない。周囲を頼らないのはプライドだけではなく、自分1人でゴールまで辿り着いてみたい、という欲求も絡んでいるようで、これはこれで厄介である。

どうやら、僕はこの二重の枷をはめながら、社会人として渡り歩くのが当面の進む道のようだ。いつか、この枷を外して自由を感じることができるだろうか?そのために何が必要なんだろう?枷が外れた人生はさぞかし軽やかに感じられるだろうなあ。

笑いをとることについて

バラエティー番組が好きでよく観る。昔からお笑いは好きだった。クラスで人気者なのも面白い人だった。小学生の頃は足が速いやつが人気だったが、いつの間にか面白いやつが人気になっていった。中学生の頃からそれは顕著で、僕はそれを羨ましく思っていた。

僕はお笑いは好きだったけど、笑いをとることに関しては全くダメだった。人前でおかしな事を言うのが恥ずかしいのも多少はあるが、自分のキャラクター的にボケをボケと思われない節があった。真面目なやつ。大人しい、大人っぽいやつ。そんな奴が突然にボケたら誰だって面食らうのが正しいリアクションだろう。自分はなかなかその壁を破れなかったし、いまだに破れていない自覚がある。

ただ、昔に比べたら少しマシになったとは思っている。雑談でちょっと笑いに繋がりそうなところがあればツッコミを入れる。これなら真面目なキャラクターにマッチしていると思った。最近、彼女がツッコミを褒めてくれた。ワードセンスがよくて面白いと言われた。だいぶ下駄を履かせてもらった評価だと思うが、悪い気はしなかった。中学生の頃、笑いが好きなのに笑いと程遠いコミュニケーションをしていた僕に、いつか笑いで評価してもらえる日が来る事を教えてあげたい。当時悩んだことは無駄ではないし、お笑いが好きでテレビ番組とかからインプットした事は役に立っている。

結局、僕がお笑いから学んだ事は「継続は力なり」と言う事なのかもしれない。